【私はこれで会社を辞めました】フリーランスになるためのモチベーション解説

ずっと悩んできたことだけど、会社辞めました。
6年勤務して、楽チンで何にもしなくても給料とボーナスくれて、有給も簡単に取れて毎年絶対に昇給する会社だけど辞めました。
年収も住んでる地域の中では悪くない方だったと思います。

なんでそんな素敵な会社を辞めたのかってことを書きたいと思います。
これはブログで発信する目的と、自分の備忘録のためでもあります。
人間時間が経つと記憶が薄れていくもので、なんで辞めたのか、今後後ろ向きになる日もあるかもしれない、そんなときのために書き残しておくためです。

だいたい自分はいつから辞めようと思っていたのかって振り返ると、会社はいる前からずっといるつもりで入ってないんですよね。
なりたい自分になるため、理想の生活をために入った会社でした。完璧に利用する前提です。
だからその利用価値が自分にとってなくなったって言えば超格好いいんですけど、そんなスマートなばっかりじゃないです。

正直きっかけがなければズルズルいってたとも思います。なんせ楽ちん会社なんで。
でも今回大きなきっかけがあって、きっかけとは別に辞めるべき正当な理由が自分の中で積み上がっていったって感じです。
このきっかけが何かはもう少しあたためさせてください。これだけで単体のブログにしたいくらいのストーリーです。

6年前、東京にいた私には長女が生まれて、初めてする妻との子育てにこの仕事を続けられないと、当時いた業界では大手の企業を退職して地元にUターン就職したのでした。年収は結構さがったけど、残業がない土日休みで有給もしっかりとれる生活に妻もさぞかし満足してくれると思っていたんです。しかしその目論見は見事に外れるのでした。

それは妻が望む生活ではなかったんですね。もっと言えばそんな私という夫を妻は理想としていたなかったのでした。

目論見が外れて、田舎でなにしてんだ俺ってなりました。興味がない仕事を選んだのは家族のためなはず。その家族から評価してもらえない仕事をしている自分てなんなんだと。自分では絶対に認めたくない言葉「前の会社を辞めなければよかった」なんてことが頭をよぎったものです。

そんな時、たまたま読んでいた藤沢数希さんの金融日記というものに出会いました。金融・経済、Web関連ビジネス、書評、科学、恋愛工学などについて書かれているブログで特に恋愛工学が人気のブログです。元外資系金融のモテ男藤沢数希さんの文章を読んで、ぱっとしない自分の日常に何かヒントはないかと思っていたんです。

悶々とした日々を過ごす僕は、ある日藤沢さんが読者の相談にのるコーナー藤沢数希の身もフタもない人生相談に自分の身の上を投稿したのでした。まあ読者もたくさんいて、自分なんかのチンケな相談に回答があるわけねーよなと思いつつ、藁をもすがる思いで文章にしたところ、すぐにメルマガで取り上げられて配信されたんです。しかも自分の文章まんま使われて。その時の内容は以下のとおり。

東京での仕事を辞めUターン就職したものの満足感が得られません

藤沢さんこんにちは、「外資系金融機関の終わり」読んで以来あまりの面白さに、メルマガも購読させて頂いております。
今日は人生相談をさせていただきたくメールを送らせていただきました。

以下当方スペックです:
・30歳で同い年の妻と1歳半を過ぎた子供有
・東京の3流私大卒
・新卒で大企業の100%子会社に就職し、法人営業に従事
社内で比較的高い評価を受けるも肝心の営業成績は特に突出するものはなし
・昨年4月にUターン就職し年収300万
・TOEIC700点

上記のような私は、藤沢さんのような外資系企業で働くことに人一倍の憧れを抱いていた人間で、前職在職中はいつかは自分も外資系の企業に転職し、ステップアップしたいと思っておりました。
前職が金融機関とも密接に関わっており、「外資系金融の終わり」に登場する企業は馴染み深く、抵抗なく読み進めることができました。
そんな上昇志向があった私ですが、当時の上司の傍若無人ぶり(ここでは詳細は省略します)に長年つきあった結果、ビジネスをする気持ちとか転職してキャリアアップするという前向きな気持ちがことごとく萎えてしまい、子供ができたことも追い風となり、∪ターン就職を考えるに至り、大学から過ごした東京を離れて地元に帰ってきました。

転職を決意した頃は、18歳まで過ごした地元での生活になんの不安もなく、自分でも当然満足しながら生活が送れるものと思っておりました。
実際、思っていたとおり、前職に比べて早く帰宅ができる上に、仕事上のプレッシャーも少なく、落ち着いた毎日を送っております。
帰宅後子供と遊ぶ時間もでき、家事にも相当協力できていると自負しています。
つまり、転職を決意した当時想い描いていたような生活は送れております。

しかし、肝心の満足感が全くありません。
仕事、私生活双方に心から楽しいと思えることがないのです。
東京のビジネスの一線にいた頃の華やかさ、厳しさを通して成長していた自分。
退職するときは、それらを捨ててでも転職する意味があると思っていました。
華やかなのは自分がいる環境であって自分自身の実力ではない、それよりも早く帰宅できる環境であれば、家族との時間や自分のスキルアップに費やす時間が持てるものと思っていました。
ところが、現実はというと、早く帰れば1歳半の子供がいることもあり、家事の分担が増え、思ったように自分の時間が持てません。
1年前は早く帰宅できる職場をうらやんでいた私ですが、東京にいたころのように接待と偽って遊びに行くこともできなくなり、定時帰宅も善し悪しだなと感じています。
最近では本当に転職が正しかったのか、もしくは、転職するにしても、東京で違う仕事に就くべきだったのでは、などと思い悩む日々です。
このまま何もしなければごくごく平凡な中高年になり、世の中の状況によっては失業する可能性もあると思います。

今は漠然と、英語力をもっとつけて、活かすことができないかとか、ITを使って地方であることのハンデを克服することくらいしか思いつきません。
地方だと英語ができるだけでもまだまだ希少性が高い人材です。
かといってそれで何をするか考えがあるわけではなく、特にこれといって仕事にしたいと思うような趣味もありません。
自分で文章を書いたり、ひとりで仕事をするのは好きな方です。
これから向かうべき道が全く見えない今、地方在住ということを活かしながらできるビジネスや今後進むべきキャリアについて、またはこのような無い物ねだり主義の私がどのように自分を納得させれば良いか、アドバイス頂きたくお願いいたします。

―藤沢数希の回答

副業しましょう。
インターネット・ビジネスは、収益性という意味では壮絶なレッドオーシャンですが、サラリーマンがほぼ無リスクでできる副業ですね。
副業の先に、起業というのもあるかもしれません。
何でもいいので、サラリーマンと両立ができる副業がいいと思いますよ。
後は、趣味でもやり込めば、いずれスクールとか開いて仕事にできるかも知れません。

いかがでしょう?当時の僕の文章から満足できていない感じが伺えます。
このまま何もしなければごくごく平凡な中高年になり、世の中の状況によっては失業する可能性もあると思います。”と言っていた自分に驚きました。
これ今回の僕が会社を辞めた理由の大きな柱の一つです。当時からそんな危機感を持っていたんだなって感じます。

それで藤沢数希さんの言うままに副業を5年間やってきたおかげで会社を辞めることができました。まさかこんなことになるとは当時アドバイスを聞いた自分も想像していませんでした。だいたい藤沢さんからの回答の内容も”副業しましょう”以外は忘れていました。今回久しぶりに読み返して相談してよかったなって振り返ります。

あのとき行動していなければ、辞めたくてもアテがなく辞められない自分のままでした。自分の意思に反することも笑顔で進めなければならない仕事が苦痛でした。それはその仕事が世の中を良くすると思えなかったからです。むしろ偽善的ですらあると疑いながら仕事をしていました。それは僕にとっては苦痛すぎました。

苦痛に感じたからこそ、何かを変えなければならないと立上る気力になったのかもしれません。世の中に疑問を感じることは生きるエネルギーになります。”これでいいや” “こんなもんだ” “そんないい話あるわけない”っていう諦めに溢れた地方の暮らし。疑問を口にせずせっせと汗水たらすことが美徳とされます。

でも諦めないで挫折しながら、道をそれながら続けてきた今、新たなスタート地点に立つことができました。まだ何も約束されていないし、何も成し遂げていません。だけどここまで来れたっていう自信の少しだけつきました。妻との関係も改善してきている。すべてに良い兆しが現れています。それは自分の感覚に従ったからだと感じます。

会社を辞めた話はやっぱ1回じゃ書ききれないですね。だから数回に分けてい書いていきます。続編にご期待ください。

 

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