【自由を手に入れる必須スキル】同調圧力に負けずに自分の人生を生きるためのマインドセット

こんにちは、ブログのペースを上げていかなきゃいけないのに目の前のことに追われる毎日です。これじゃだめです。目の前のことをやる時間と先をみてやる時間を意識的にわけていきたいですね。

さて、今日のタイトルは同調圧力に負けずに自分の人生を生きるです。
誰もが自分の人生を自分らしく生きたいと思ってるわけですが、それができているかっていうと怪しいもんです。生活の中にイヤイヤやっていたり、後ろ向きな気持ちで参加していることがどのくらいありますか?そういう不本意な時間をどれだけ過ごしているでしょうか?

かくいう私もそういう時間が結構あります。特に地域コミュニティーにそれを感じます。私は地方都市で生活していますので、地域の付き合いがあります。隣近所に誰が住んでいるかわかるし、町内会みたいなものもあります。それ自体は子育てをする環境には適しているといえるでしょう。

しかし、消防団とか、青年会っていう地域の中の若手を中心とした集まりがあってこれが結構厄介な存在です。青年会っていうくらいですので、若い40代くらいまでの男たちの集まりなので町内行事の中心を担っています。したがってあらゆる行事において、この青年会として動員されるわけです。

新年早々休みが丸一日つぶれる行事って何!?

地域コミュニティーが不必要とか、煩わしいだけと言いたいんじゃなくいい面もあるんですが、私の住んでいる地域が住んでからわかったのですが、行事やイベントが結構激しいんですね。

例えば地方では1月の風物詩でもある、「さいの神」「どんど焼き」といわれる正月のしめ縄とか書初めとかを燃やす神事があります。藁を積んで山にしてそこにしめ縄とかお守りを置いてそれを住民が囲っている中で火をつけて、無病息災を願うというものです。

これ自体伝統的な風習なのでしょうし、それほど手間ではないと思います。準備から終了まで2時間くらいで終わるようなもんです。

ところが私の住む町内は、青年会がこれを朝の8時頃から準備をはじめて、火をつけて終わるのにお昼までかかってるんです。テントを設営したり、豚汁を作ったり、余計な手間をかけまくってます。さらにそのあと会場を変えて昼から新年会がスタートします。終わるのは夕方でしょうか。子育て中の家にとっては結構な負担です。父親が休みの日に朝から夕方まで不在で、帰ってきても酔っぱらっているっていう。

変わっている家族の形と変わらない地域の行事

きっと地方都市ではこんなことが腐るほどあると思います。多世代同居があたりまえの時代はこれが成り立っていました。父親が不在の間子供の面倒をみるのが母親のワンオペにならず、祖父母がみてくれます。しかし、我が家のような核家族にとっては、地域行事が争いの種になるんです。妻も平日働いているので、せっかくの休みに僕が不在で子供を一人でみているのはストレスがたまるのは無理もないでしょう。よりによって酔っぱらって帰ってくるので、そりゃもう機嫌が悪くなるのは目に見えています。

こんな状況ですが、僕はこのイベントに3年連続で参加していません。引っ越してきたのが3年前なんで要するに一回も参加したことがないんです。参加したほうが地域の同年代の人達との付き合いは円滑になりますが、僕は家族の時間を選択しています。じゃあ僕が地域のイベント全てにこの態度かっていうとそうでもないです。このイベントに関してここ3年間はこういうスタンスだってことです。だからもう少し子供が大きくなったら参加する可能性もあります。でも今は休日の我が家にとって負担なのでいきません。

地域の同調圧力は際限なく押し寄せる

地域の同調圧力って際限がないです。参加すればするほど参加しなかったときに文句を言われるキャラに成り下がります。だからあえてちょっと偏屈で来るか来ないかわからない感じのキャラでいた方がいいです。皆さん何気なくイヤイヤ参加してると思いますが、それって要するに家族より地域の付き合いを選択しているってことなんです。

奥さんから特に何も言われない人はいいです。でも周りを見る限り同じような家族構成の父親たちはやはり苦労しながら参加しているのがわかります。それでも参加するってことは町内のリーダー的な人や周りの人との関係性を重視して妻がイライラするのは仕方ないという妥協のもと参加してるってことになります。

同調圧力に負けて無自覚に選択することは百害あって一利なし

この自分で選んだっていう感覚さえあればどっちでもいいんです。しかし、イヤイヤやってるんでそういう選択したっていう感覚ってないんですよ。「自分も仕方なく参加しているのに妻は理解してくれない」という感覚。わかりますよ。すごく共感します。だけど僕はある時気が付いたんです。

仕方なくやっているうえに妻も理解してくれない。マイナス+マイナスです。これじゃあよくない。自分にとってメリットないんです。例えば仕方なく参加してるけど、それが家族のためになっていて妻からのねぎらいの言葉があるってことならやる意味ありだと思います。

だけど楽しくない上に家族から文句言われるってどうなんでしょう。逆に自分の趣味に例えみるのもいいでしょう。友達と釣りやサーフィンに行きたい場合です。これは自分のやりたいことをやったうえで妻が不機嫌なパターンでプラス+マイナスです。自分のやりたいことをやっているんだから納得感ありますよね。さらに行く前の期間は家事や育児を頑張りますよね!?こんな風に考えるとイヤイヤ参加しているにもかかわらず家族の理解を得られない活動ってホント意味ないなって思います。

納得感のない時間をやり過ごすことは自分の人生なのだろうか

つまらないけどその場にいなければいけない時間って何なんでしょう?僕はそういう時間は自分の人生ではないって思います。そういう時間って面倒くさいイベントがどうしても必要でその場が楽しくて仕方ない人や、上に立っている人、家庭内に自分の居場所がなくてほかにやりたいことがない人、とにかく飲むことが好きな人の人生を生きている、そんな風に感じます。いわばお膳だてです。脇役。そんな時間です。そう思うと無自覚に同調圧力に負けちゃいれないって思いませんか?

確かに地域の顔が見える関係って大切な面もあります。だけど忘年会、新年会その他諸々、何かにつけて会う機会はあるし、そのたびに酒を飲むこの風習。酔っぱらっていると人世あっという間に終わってしまうんじゃなかって常々感じてます。自分の人生を生きるためには同調圧力から一歩抜け出す勇気を持ちましょう。

意識しないと自分の人生は奪われていく

正直一回やってみると案外どうってことないです。多分陰では言われてるんでしょう。「あいつはダメだ」「付き合いが悪い」って。だからってその人達が家庭の不和を解決してくれるわけではないですから。無自覚に同調していて取り返しがつかなくなってからでは遅いですし、それは最終的に自分の責任でしかないんです。生活レベルも何もかも同じでないと気が済まない地域コミュニティー特有の価値観。この辺を打破できるかどうかが幸せに暮らせるかの大きな鍵なんです。

 

 

 

 

 

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