はなっから反対されるなら相談するな
私が会社を退職したときの話です。家を建てるときと同様に親に相談せずに決めました。決めてからも言わずにいました。きっと好意的に思われないからです。
私の親(ここでは主に母親を指します)は子供のチャレンジを応援するよりも、自分(母親自身)が安心できる人生を子供が送ることを望むタイプの親です。母親の望む理想の人生とは、いい会社(硬い・安定している・評判がいい)に在籍して、厚生年金をかけてもらって、会社の手厚い保護の下、定年を迎えるというものです。
昭和20年代生まれの私の両親はこのような生き方をしてきて、それなりに恩恵を受けてきたのだと思います。
親世代は良い時代を生きてきた
私の両親が定年まで従事した繊維関係の会社は今でこそ斜陽産業ですが、平成のはじめまでは相当いい思いをしてきたはずです。斜陽といっても今も立派に営業していて父親は役員なので定年の年齢を超えていますが、今も仕事ができています。私が3流大学を卒業してこうしていられるのも、その会社で親が頑張ったおかげであることは間違いないです。
母親は現在厚生年金を受給しており、少ないといっていますが、我々が将来受け取ることができないほどの金額をもらっていることでしょうし、今年は父親と2度も旅行に行っています。70歳手前の初期の高齢者世帯としては、比較的余裕のある暮らしを我が両親はしているといえます。したがって、母親の人生の選択は正しかったのだと思います。
ただ、これを今30代の子供に求めるのはどうかってことです。
母親は会社にいれば給料がもらえて年金や社会保険を払って貰えるとしきりに言います。この会社に“いれば”という言葉がまさにすべてを物語っているのですが、給料や福利厚生が、会社で成果を出す対価であるという考えはありません。会社に「いれば」とは何があってもしがみついていればとも聞こえます。
平和ボケしている親世代
僕が東京の会社をやめて地元の半官半民の会社に転職が決まったときに母親は僕にこう言いました。「あまり仕事をしすぎるな」と。どういう意味はわかりますか?この言葉の意味は周りの人と仕事のペースを合わせて自分だけ沢山働きすぎるなってことです。一人仕事を沢山する人間が入ると、いままでのんびりやっていた人から疎まれることを懸念しての言葉です。
とにかくその場所でおとなしく、恙無くいられるようにという母親なりの愛情のつもりで言っています。言ってる本人は子供のことを思っていっていると信じているのでなおさらタチが悪いんです。20代後半の僕に、その先定年までおとなしく目立たず、ただただ真面目(従順に)に職場にしがみつけという死の宣告でしょう。
親から受けるアドバイスの何が良くないかっていうと、アドバイスしている側は100%子供のためと信じ切って発言しているからです。それだけになおさら質が悪い。はむかおうものなら、「これだけおまえのことを考えて言っているのに!」となってしまうんですね。
だから、自分の望まない応えが返ってきそうな相手には相談事はするなってことです。相談って本当に聞いてもらいたい場合もありますが、自分の決断をあと押ししてもらいたい場合もあるじゃないですか。そういう時の相談相手として親は最悪です。
ひとりの大人として自分で考え自分で決める
親と自分は生きる時代が1世代異なります。今の時代、1世代の差はあらゆるテクノロジーの進化や産業構造の変化によって昔とは比べ物にならないほどの価値観の差を生んでいます。1980年代に生まれた私とその親世代、いわゆる団塊の世代の頭の中は同じ国民とは思えないような差に見にあふれています。別に団塊世代の脳内が旧式だとか、悪いとかそういう話じゃないんです。
日本が戦後を終えて高度成長を遂げたまさに真っ只中に成人して、会社で頑張ることが幸せの最短距離だった親世代と、小学校入学の頃にバブルが弾けて、ずっと景気が悪いと言われて育ち、社会人になると全てにおいて効率化、費用対効果という物差しが適用される世の中を生きていた我々では描く将来が異なるのは自明です。
大切なことは自分で考えて自分決めて行動することです。親は口を出しますが、その結果の責任をおってくれやしません。
転職や仕事を辞めることは自分のことです。大人として、男として一番大事なのって自分で決めることです。自分で決めて、だめなら責任をとる。この覚悟があれば親に相談する必要なんてないんですよね。僕も含めて物事の決定をなにかに依存している人は多いと思います。これは圧倒的に弱いです。
まとめ
このように、これから30年以上現役続いていく我々が、転職やキャリアについて親世代に相談してはいけないのです。親世代は既存の価値観で逃げ切れるラストスパートに入っています。もし自分親の言うことを聞いて後悔したとしてもその頃に親はこの世にいないでしょう。死んだ人を憎むわけにもいきません。
だから一度きりの人生、自分の頭で考えて、自分の価値基準で行動して自由をつかみましょう。自分で決めたことなら、失敗しても後悔ではなく、それは「経験」という財産になるはずです。