【心配性な人に贈る】日本の将来について個人が不安に思う意味がない理由

タイトルどおり、日本の将来は暗いけど個人が必要以上に不安になる意味はないという話をします。

ニュースのほとんどが日本の将来を悲観するものばかりで正しい情報なんだとは思いますが、それを個人の問題に引き戻した時にはたしてネガティブなことばかりなのか?という内容です。

確かに日本の先行きは暗い要素が多い

これは言うまでもないかと思います。
少子高齢化については将来人口推計によって示されていますが、2020年時点で1億2,400万人いる我が国の人口が40年後には8,600万人まで減るみたいです。

また団塊の世代(我々30代の親世代)の人口が多く、会社ではポストが詰まっている状態が散見されていると思います。

次はあの人が課長でその次は・・・ってやっていくとどうやっても計算が合わないことがあります。
これが詰まっているという状態ですね。

そんな先行きが暗い日本という国ですが、僕の主張は

[box class=”glay_box” ]凡人たる個人が国の将来に対して不安になる必要はない[/box]

です。

国の先行きが暗い=個人の先行きが暗い訳ではない

国という大きな目で見れば暗いことが多いのかもしれませんが個人や家庭単位で不安がっていてもしょうがないです。

要はマクロとミクロの問題です。

ソフトバンクとか、ユニクロとか日本を代表する大きな会社を作ろうとしているなら多少気にしてもいいかもしれませんが、

[aside type=”boader”]生活圏の中で人並み以上の生活できれば十分じゃない? [/aside]

って思いませんか?
自分の見える範囲つまり生活圏の中で人並みか、もしくはそれ以上くらいの暮らしができれば良くて、それって国レベルの大きな問題に比べると相当ちっぽけな規模の話ですよね。

近所の中小企業の社長って結構良い暮らししてませんか?そこより上に行きたいですか?
休みの日はせいぜい近所に買い物に行くかバーベキューするかそんな感じではないでしょうか?

その程度の志の我々にはマクロの問題はたいして重要ではありません。

子供の頃(平成初期)から日本は不景気で終わったと言われているけど生活はどんどん良くなってる

そもそも日本は平成の初期から不景気だったらしいですが、生活の質が下がったと思うことってありましたか?

僕の場合、一時的にお金がないとかはありましたけど一応30代も後半にさしかかっている今まで生活の質は年々上がってきている気がします。

四流大卒で何事も中途半端な僕がそうなんですから多くの人にとって共通の実感だと想像しています。

GAFAやAIは脅威ではなく個人を幸せにするものと捉えよう

GAFAの脅威とか言われていますが、これも関係ないです。

というかむしろ歓迎しましょう。僕はアップル製品に囲まれてグーグルでリモートワークを実現し、アマゾンで物を売って副業とし、facebookやinstagramで趣味を発信しています。

はっきり言って最高じゃないですか?

AIで効率化されるのはむしろ高給な仕事の方では?

AIが仕事を奪うみたいなニュースに怯える気持ちはわかります。
確かにAIは人より圧倒的な速度と正確さで仕事をしてしまうんでしょうが、AIが奪う仕事って頭を使う仕事です。良くわかんないですが、ビッグデータを扱って分析することとかですかね?

そんな高尚な仕事、現時点でしている人ってどれだけいるんでしょうか。

多くの人はAIにやらせるような頭を使う仕事をしていないように思います。
世の中、頭は使わないけど手間はかかるみたいな仕事はたくさんあるわけで。

そもそも日本に生まれた時点で超ラッキー?

日本の将来を憂うのは国の先行き≒自社の成長みたいな大企業の社長とか、スタートアップの起業家に任せて我々はちっぽけな個人の幸せを追求したらいいんですよ。

そう考えると日本に生まれた時点で超ラッキーって思えてきます。

[box class=”glay_box” ]

  • 日本語ブロック
  • 独自の文化、価値観
  • 自国通貨でまだまだ経済大国
  • 手厚い社会保障
  • 差別ないし格差もない

[/box]

例えばいつでも海外に移住できそうな有名人や経済人(ホリエモンとかデヴィ夫人とか?)がなぜ日本を拠点にしているのかを考えてみよう。

まとめ

確かに国としての将来に暗い要素が多いけどイコール個人の将来が暗い訳ではない。

GAFAのような企業をつくったり、大富豪を目指すなら別だが個人は今の生活圏内の生活水準の中で幸せを見いだせる。

GAFAは恐れずに使えば良いし、GAFAに取って代わるサービスが登場したらまた使い倒せばいい。

大きなニュースに絶望して何もしないより、行動して小さなチャンスを掴んでいく方がよっぽど懸命 個人が幸せになれる程度の小さいチャンスはいくらでもある。

ということで悲観せずに行きましょう。

 

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